点を巡る迷走気味の様々な考察

点を巡る迷走気味の様々な考察(1)

<ユークリッド幾何学と点と線と…>

 点に係わる(ユークリッド幾何学の定義を問い直すような)10の問題から様々な思いを巡らしてみよう。

第1問:無限はこの物理的世界に存在するか?

 どんな物質も有限量しかないが、時間と空間は無限を含む、というのがA君の現在の解答である。それぞれが有限、無限に分かれる理由は基本単位がサイズをもつか否かによる。物質の基本単位は素粒子であり、素粒子にはサイズがあり、その数は有限である。時空の基本単位はサイズのない「点」であり、実数で表現されが、その実数は無限である。

第2問:無限は一つのまとまった対象として存在するか?

 可能無限(potential infinity)は限りなく続くという過程を意味しているのに対し、実無限(actual infinity)は独立した集合として考えることができる。無限は限りなく続くところに注目すべきなのか、それとも完結するところに注目すべきなのか。無限は可能的だと考えたアリストテレスと、実無限の集合としての存在を信じたカントールとのいずれに軍配を上げるべきなのか(アリストテレスは可能無限だけ認め、実無限を認めなかった)。

第3問:限りなく続く数列はまとまった対象として存在できるか?

 動いている最中の運動はまとまった運動として完結していないように、限りなく続く数列は完結した対象ではない。だが、限りなく続く数列を完結したものと捉えないと、数列に対して代数的な演算を行うことができない。

第4問:点から線をつくることができるか?

 ユークリッド幾何学は点から線をつくることができることを定義として認めることからスタートする。点はサイズや形状、次元を持たない空間内の位置であり、ゼロ次元の概念である。線は幅を持たず、長さのみを持ち、線の両端は点である。ユークリッドは点から線を、線から平面を構成しようとした。だが、時間や空間さえ離散的(discrete)だと考える統一理論や直観主義数学では点から線がつくられることを否定し、点にはサイズがあると考える。

第5問:一番小さな数、一番大きな数は存在するか?

 無限小(infinitesimal、限りなく小さい量)が存在すれば、定義上それが最小の数となる。では、自然数には一番大きな数があるのだろうか。有限の場合は簡単にその存在を証明できても、無限になるとその証明は厄介である。

第6問:0.1と0.11の間にある実数の個数と1と50兆の間にある実数の個数とはいずれが多いか?

 同じ個数の実数がある、が解答である。だが、直線でそれぞれの区間を表現したとき、その長さは大変違っている。それゆえ、個数と長さは根本的に異なる概念である。

第7問:区間〔0, 1〕から任意の有理数を一つ取り出す確率の値は何か?

 区間〔0, 1〕の中にある有理数の個数は無限であるが、それにもかかわらず、任意の有理数を一つ取り出す確率は0である。それ故、確率空間が無限を含む場合、不可能なことが確率0、確実なことが確率1という常識は修正しなければならない。

第8問:開区間(0, 1)の中の最大数、最小数は何か?

 開区間には最小、最大の数はない。0、1に近い数は限りなく存在するが、0と1はこの区間にはない。そのような開区間を閉区間と同じように、まとまった対象として認めるのが常識的な数学である。

第9問:実数や点はどのような存在か ?

 物理世界の対象との比較から、個々の実数や点はこの物理世界には存在しない。物理的に存在するための条件を満たしていないからである。数学的な対象であることを認めても、その存在が物理的な存在として証明できるものではない。

第10問:物理的対象と数学的対象は何がどのように異なるのか?

 異なる点を列挙するのは容易だが、逆に同じ点とは何なのか。点が同じ、異なるは定義できるのか。物理的な世界で透明な数学的対象、数学的な世界で透明な物理的対象という点で、相互に干渉し合わないことが理想であるが、現実はそうでもない。

 

最後に

 全てはサイズのない点から始まった(ユークリッドの『原論』のスタート)。サイズのない点こそ数学化の原点である。点は数0と密接に結びつき、世界についてのモデルや解釈に不可欠なものになった。

(1)サイズのない点から線をつくると、その線は連続体(continuum)の濃度となる。

(2)1を単位とする自然数の個数は可算(countable)で、連続体の濃度はそれより大きく、非可算(uncountable)である。

(3)世界はサイズのある粒子からなり、サイズのある粒子の運動変化はサイズのない点を基本にして表現される。

 

点を巡る迷走気味の様々な考察(2)

<ライプニッツ、モナド、連続性>

 17世紀の機械論哲学から生じた問題の一つに「連続体の迷宮」と呼ばれるものがある。それは、「事物の究極的な要素は存在するか」という問題に対し、物体的原子を主張する原子論者の仮説をとっても、また原子を否定し非物体的な単位を仮説としてとっても、連続体をつくり出せない、というアポリアを指している。それは、運動という物理的(時間的、空間的)現象が連続することを、点と線に関する幾何学的な連続によって扱おうとして生まれた「ゼノンのパラドクス」の再発と考えることができる。「連続体の迷宮」によれば、(A)線分の限りない分割によっては点が構成できない、および(B)点を限りなく集めても連続する線分を構成できない。その議論は以下のように再構成できる。

(前提)[物体の定義]すべての物体は何らかの空間的な広がり、すなわち延長をもつ。

(A')今、事物の究極的な構成要素が物体的な原子であるとすると、前提よりそれは延長をもち、延長をもつならば、限りなく分割可能である。よって、その物体的な原子をより小さな部分へと果てしなく分割できるが、上の(A)より、真に究極的な要素が何かを特定することはできない。

(B')そこで、物体の究極的な構成要素が、物体的な原子ではなく、いかなる大きさも、また形も部分ももたない小さいものとする。つまり、延長をもたない非物体的なもので、点と同じとする。しかし、今度は(B)より、点を無際限に組み合わせていっても点は点のままであり、点の集合から線分を構成できないのと同様、非物体的な原子から連続体を構成することはできない。さらに、何らかの別の仮定なしには、非物体的な次元から物体的な次元への移行を説明できない。

 ライプニッツは単に原子論者の矛盾を指摘するだけでなく、さらに独自の理論を展開して、実在する世界がどのようであるかを説明しようとする。その理論こそ、物体を真に構成する単位は「原子」ではなく「モナド」でなければならない、というものである。ライプニッツは、数学的には、実無限を否定し、可(能)無限のみを認める構成主義的な立場をとる。ライプニッツは「1/2, 1/4, 1/8, ...」という無限級数からは、どんなに小さくとも有限な分数しか存在し得ない、と答えている。つまり、線分は限りなく分割可能でも、無限小(infinitesimal)は存在し得ない。同様にして、事物の分割も限りなく実行できる。したがって、延長を本性とする物体と、分割不可能な原子を結合した物体的原子の仮説は矛盾している、ということになる。

 この論証とは別に、ライプニッツは数と量の本性にわざわざ訴えなくても、実無限は否定されねばならないと考える。というのも、「自然数全体の数」および「最大数」などの概念は、「全体は部分よりも大きい」という公理を破っているからである。実無限の否定に関しては、ライプニッツはアリストテレスと同じ考えなのである。

 ライプニッツは、モナドが表象という仕方で実在的な世界全体を内的に含んでいると考えた。連続体という見かけ上の大きさは、現象世界にのみ当てはまる。それゆえ、モナドは、形而上学的に言い換えられた点ないし無限小にすぎないと批判されるかもしれないが、現象世界にしか属さない連続体をいかにして構成しうるかという問題は、実在世界には持ち込まれない。つまり、実在世界には連続体は存在せず、現象世界にはモナドは存在しないのだから、「連続体の迷宮」はどこにもない。モナドが属する実在世界と、モナドによって展開される連続体が属する現象世界を混同したところに、連続体の迷宮の起源がある。

 ライプニッツは「連続体の迷宮」を解決するために、世界を現象世界と実在世界とに二分し、後者に属する実在的な構成単位であるモナドが、現象世界すべてを表象するという形で含んでいるとした。現象世界は、連続的世界としてあり、それは人間の認識活動と不可分な「観念的な世界」で、そこでは全体が部分に先立つ、すなわち、部分はそれより大きい全体の可能的な分割としてのみ存在しうる。それゆえ連続体すなわち物体は、その部分の分析のために、観念的なある全体を単位として前提せざるを得ず、果てしなく分割可能とされた。ところが、実在世界はモナドで充満している離散的世界であり、人間の認識している物理現象とは次元の異なる世界と考えられた。そこでは部分が全体に優先する、すなわち構成単位たるモナドが、それらで充満している世界に優先する。このように、ライプニッツにおいては現象論と実在論とが同居しているが、それら異なる世界間の橋渡しをしている概念こそがモナドであり、その背後には、無限に関する数学と形而上学が複雑に絡み合っている。

 このようにライプニッツのモナドを引き合いに出して議論を展開すると、とても深遠な内容だと思ってしまう。だが、よく考えてみたら点と線についての議論はユークリッド幾何学と実数のことだと気づくのは中高生なら簡単なこと。

因果的な物語の世界と対称的な数理の世界:世界を知る二つのパラダイム

 紀元前5世紀の釈迦も紀元前4世紀のアリストテレスもとても理知的で、頭脳明晰な哲学者でした。言語表現に長け、豊かな知識をもち、弟子たちを指導する能力を十分にもっていました。

 「風が吹くと、桶屋が儲かる」と言われると、多くの人は怪訝に思います。「風が吹く」がなぜ「桶屋が儲かる」の原因になるのか、その未知の因果関係が私たちの好奇心に火をつけるのです。この文は「独身者は結婚していない」というような、自明でつまらない文と比べると、私たちの意表を突く内容をもっています。この文が正しいなら、大抵の人は「桶屋が儲かるなら、風が吹く」のかどうかも知りたくなるはずです。

 ところで、シェクスピアの『ロミオとジュリエット』とユークリッドの『原論』のいずれに胸が躍るでしょうか。『原論』を読んで、ロマンティックな気持ちになる人はまずいないと思います。退屈で、面白みがないと多くの人は感じるはずです。では、どうしてこれほどまでに反応が異なるのでしょうか。胸躍る因果的な系列からなる物語が『ロミオとジュリエット』だとすれば、前提と結論の論理的な系列からなる証明が『原論』だとなります。それでも、証明ができるかどうかに関心を持つ人がいることも忘れてはなりません。そこが人間の不思議なところです。

 「事実は小説より奇なり」でも、そこでの事実も小説も共に特定の因果連関のことです。誰もが気づかなかった因果連関を見つけることは推理小説家だけでなく、科学者にも母親にも必要なことです。また、新しい因果連関をつくることは発明であり、私たちの人生そのものが因果連関の連続的な系列から成り立っています。そこで、先輩釈迦の聡明な分析から見てみましょう。因縁とは「理由」、「訳」、「原因」、「根拠」などのことで、科学も「因縁」の研究です。なぜ重い物は空を飛ばないのか、なぜ鳥は空を飛べるのか、これらはよく問われる疑問です。その謎のような疑問を当たり前の、わかることにすること、それが「因縁がわかる」ということです。因縁は合理的、科学的な事柄で、おもしろい話ではありません。でも、人間は好奇心の塊で、理由や訳、原因を知りたがるものです。ですから、きちんと、とことん追求し、正しい原因や理由を見つけ、好奇心を満たそうとします。「理由」と「原因」が違うことは賢い釈迦は十分知っていたはずですが、彼は敢えて区別せず、話しています。

 私たちは原因を探そうとすると、すぐどこかで飽きてしまい、中途半端に追及を止めてしまいます。自然の不思議はお化けのせいにすれは簡単です。そうしないで徹底的に原因を探すところに真なる知識が生まれます。正しい、本当の原因が見つかるまで飽くことなく追求するのが人間の性でもあるのです。

 その追求を徹底せよというのが釈迦の因縁についての意見です。釈迦の説法は全部因縁の説法(後で釈迦に説法したいのですが…)。ですから、どんな経典を開いても正しい因縁についての話が述べられています。理解できない理不尽な話、非科学的な話は一つもありません。具体的で合理的な説法になっています。

 不幸になるには必ず因縁(原因)があるということ、不幸ならその原因をとことん究明すべきであると釈迦は説いています。さらに、釈迦は、「必ず不幸になる人間の行動」を体系的に解明し、わかりやすく説明しています。

 業そのものは、善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられました。では、業とは何でしょうか。「業」とは、過去に行為した、成したことの結果という意味です。ですから、業の話と因縁の話は因果的につながっているのです(因縁が原因、業が結果)。

 悪いことをすれば悪い結果になる、良いことをすれば良い結果になる、というのが業の話です。幸福だと喜んでも、不幸だと嘆いても、それが業です。例えば、食べるものに好き嫌いがあって、偏食になると、時間がたてば病気になる、それが業です。善因には善果、悪因には悪果が訪れるというのが業の因果の法則。仏教では、どんな存在も本来は善悪無記であると捉え、業に基づいた輪廻の世界では、苦楽が応報すると説かれています。どんなものも、直接的な要因(因)と間接的な要因(縁)によって生じるとされています。また、「原因に縁って結果が起きる」という法則は「縁起」と呼ばれています。仏教では因果を次のように分類しています。

善因善果(ぜんいんぜんか)…善が善をうむ

悪因悪果(あくいんあっか)…悪が悪をうむ

善因楽果(ぜんいんらっか)…善が楽をうむ

悪因苦果(あくいんくか)…悪が苦をうむ

 すべてが、自らの原因によって生じた結果であるとする考え方を、「因果応報」と呼びます。もともと、インドでは業と輪廻という考え方が広まっていました。つまり、過去の境遇での行為によって現世の境遇が決まり、現世での行為によって来世の境遇が決まり、それが永遠に繰り返されている、という世界観、生命観です。この「業と輪廻」という考え方は仏教にも継承され、業によって衆生は、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」の六道を輪廻している、と考えられるようになりました。そして、仏教が目指す仏の境地、悟りの世界は、この因果応報、六道輪廻の領域を超えたところにあると考えられたのです。

 

 次は知の巨人アリストテレスです。出来事(の命題)の因果的な系列と命題(の出来事)の論理的な系列はよく似ていても、全く異なる系列です。でも、見かけはよく似ていて、大人でも混同することがしばしば。いずれの系列も「ならば」と言う接続詞によってつながれています。系列がA→Bと表現されるとき、→が「ならば」に対応しています。A→Bが因果的な場合、Aが原因、Bが結果で、「AならばB」となります。A→Bが論理的な場合、Aが前提、Bが結論で、「AならばB」となります。

 アリストテレスは哲学者である以上に経験科学者でした。彼の研究成果は17世紀まで物理的な世界観を支配し、19世紀まで生物的な世界観を牛耳ってきました。それほどまでにアリストテレスの伝統は強大であり、また説得力ももっていました。そこで、長い伝統を育んできたアリストテレスの考えを見てみましょう。

 アリストテレスは形相(本質)が対象の外にではなく、具体的な個体(個物)の中にあると考えました。プラトンイデアが超越的に存在しているのと違って、形相は個体に内在し、すべての個体は形相と質料から合成されています。アリストテレスは存在するものの変化を説明するために可能態と現実態という区別を考えました。そして、彼は可能態と現実態の間の変化を4つの原因によって説明しようとしたのです。アリストテレスは自然に4原因‐形相因、質量因、機動因(起動因)、目的因‐を認め、それらを使って事物の現実あるいは可能な状態とその間の変化を因果的に説明しようとしました。それぞれの原因がどのようなものかを家を例に考えてみましょう。質料因は家を造る材料、石、木等です。形相因は家を造る設計者の心の中にあり、質料によって具体化されるデザインです。機動因は家を造る主体、つまり、建築家です。目的因は家を造る目的です。アリストテレスはこれらの異なる役割を下のように考えています。

形相因:物質的なものを現実化する、決定する、特定するものである。

質料因:それなしには存在や生成がない、受動的な可能態であるものである。

機動因:その作用によって結果を生みし、結果を可能な状態から現実の状態に変える。

目的因:そのために結果や成果がつくられるものである。

 アリストテレスの4原因は事物の構成と変化の両方に関わっており、変化の時間軸に二つの原因(機動因と目的因)、構成の階層軸に二つの原因(形相因と質料因)を置いたと考えられ、それぞれ時間的因果性、存在論的因果性と呼ばれています。その後、いずれの軸も一方向だけが取り上げられ、時間軸からは目的因が、階層軸からは形相因が排除されて行きました。それが現在の因果的、還元的説明のもとになっています。階層軸は科学の研究の仕方もあって個別科学の研究領域に分けられ、分業化が進み、階層的に分割された各領域では機動因だけがもっぱら研究対象として取り上げられることになります。

 釈迦もアリストテレスも因果関係の解明が世界や人間を知る鍵だと考えていました。因果関係からなる世界は物語としての世界です。この物語パラダイムが釈迦とアリストテレスが共有したものです。これとは異なるパラダイムを完成させたのがニュートン、その成果が『プリンキピア』です。その構成は次のようになっています。

1部:目的、定義と公理

2部: (book 1) 力に従う物体の運動に関するさまざまな数学的形式の定理、それらの導出はユークリッドの『原論』と同じ形式

3部:(book 2) 流体の中での物体の運動と波の運動

4部:(book 3) 万有引力の法則と天体運動の観測結果の組み合わせ

 この構成は数学的な公理の提示と、それを運動の説明に適用するという二段階からなっています。自然に見られる結果は幾つかの異なる原因や力の複合的な結果です。ニュートンは現象としての運動は見かけの運動に過ぎなく、その背後には絶対空間に関しての真の運動があると考え、見かけの運動や原因から出発して、真なる運動や原因をどのように推論できるかを『プリンキピア』で数学的に示そうとしました。

 『原論』の公理に対応するのが、慣性の法則、運動量保存の法則、作用反作用の法則という運動の3法則。ニュートンは天体の運動の秩序を観測し、その秩序と運動、そして運動の3法則の論理的な帰結から、天体間に働いている力がなければならないことを導き出します。これらの前提から、二つの物体M、M’が互いに引き合い、それがF = GMM’/r2という式によって与えられることを巧みに示しました(Gは重力定数、rは物体間の距離)。そして、宇宙に存在するどのような二つの物体の間にもそのような力Fが働いていることを帰納的に推論しました。このニュートンの新しい物理学は古典力学と呼ばれ、18,19世紀の物理学のパラダイムとなりました。

 では、ニュートンに始まる古典物理学パラダイムはどのような世界観を私たちに提示するのでしょうか。運動の法則も重力の法則も普遍的に成立しています。つまり、いつでもどこでも必ず成立しています。運動方程式による物理システムの記述や説明が数学的、演繹的になされることは何を含意するのでしょうか。このような問題を力学のパラダイム内で解決するのが対称性の原理です。

 対称性(Symmetry)という言葉は線対称や点対称の一般的な表現です。それらが図形を移動あるいは回転しても同じ形が保存されることを意味していたように、変化や運動がいつ、どこで起ころうとそれに同じ法則が適用され、同じ結果が得られることを保証するのが対称性の原理です。いつ、どこで、何に対しても同じことが成り立つことは普遍命題の「すべて」が物理世界で成立することの別の表現になっています。自然の中で変化が生じ、その変化の中で不変に保たれるものが対称的なものです。

 物理的な変化の代表は運動であり、運動とは対象の移動です。ある位置の対象が別の位置に移動することは対象を置き換えることですが、それらを対象の変換(transformation)と呼ぶことにすると、逆の変換が元の状態を復元する場合、すべてのそのような変換は群をつくります。そのような群は「変換群」と呼ばれます。物理的な運動変化は変換で表現されますから、変換群は物理的な運動変化の集まりを数学的に表現していることになります。

 最も単純な力学システムは1個の粒子が1点として表されるものです。粒子は内部をもたないとすれば、空間内に延長をもたない質点(point particle、幾何学的な点)として表現されます。粒子は空間内の位置、そして質量、電荷等の物理量の値が与えられれば、空間内で表現でき、それら物理量は一定です。また、私たちは観測者としてそのシステムを外から眺めますが、観測者から物理学的に不必要なものは一切取り除かれます。単純化された観測者の測定だけが座標系の形で残されます。座標系はデカルトによって空間に導入されましたが、観測者と観測結果がそこに集約されることになりました。粒子と観測者の複雑な関係は点と座標系の関係に還元されて、単純化されて残っています。この座標系についても対称性の原理が成立します。古典力学の場合、どのような座標系を選んでも運動は同じように表現されることが原理によって保証されています。このような説明から自然法則の特徴をまとめると次のようになります。

 自然法則の普遍性は対称性概念によって物理化される。自然法則を述べた普遍命題を確証する必要があるとき、直接に確かめることはできない(なぜか)。しかし、対称性とその数学的表現である群を用いることによって、数学的な意味で確証を得ることができる。物理システムの認識論的特徴づけは座標系と対称性概念によってなされる。これは観測者と物理システムの間にある認識論的関係の物理化である。

 物理法則における対称性の再認識は1905年にアインシュタインが相対性の原理(Principle of Relativity)を述べたことに始まります。互いに対して一定の速度で動いている二人の観測者にとって物理学の法則は正確に同じというのが相対性の原理です。異なる視点の同等性というアインシュタインの考えはすべての可能な観測者に対して物理法則が同一であるという考えをさらに追求させることになりました。あらゆる運動への同等性を述べるという考えは、それを普遍法則に高め、等値性の原理(Principle of Equivalence)が得られました。この原理は、重力は見かけの力と区別できない、あるいは加速度の効果は重力の効果と全く区別できない、と言うものです。これら二つの原理は対称性原理の具体的な形です。

 対称性原理の次の段階はネーターの定理 (1918) です。この定理によると、物理法則の対称性にはそれに対応する保存則が存在します。この定理の逆も真。つまり、どんな保存則にもそれに対応する対称性が存在します。対称性と保存則の関係は次のように分類できます。

1空間的対称性は空間の均質性であり、線運動量の保存を含意する。

2回転的対称性は空間の等方性であり、対称軸についての角運動量の保存を含意する。

3時間的対称性は時間の均質性であり、エネルギーの保存を含意する。

 対称性と保存性の同等性は、物理システムのある物理量が保存されて時間発展する場合は、それについての法則も普遍的であること、そしてその逆も成立することを意味しています。

 

 物理学的なパラダイムに親しんだ人には釈迦やアリストテレスパラダイムは民間概念(folk concept)と映り、一般の人たちには対称性が何かチンプンカンプンで、二つのパラダイムの溝は実は意外に大きいのです。

「ゲーデルの不完全性定理」の説明擬き

ゲーデル不完全性定理は私たちの「知ったかぶり」がどのようなものかを誰にも腑に落ちる仕方でわかるための格好の一例である。この定理をわかるには実際に途中を省略せずに証明してみることなのだが、それが意外に厄介で、証明の多くの部分は「できる筈、そうなる筈」という妥当な推測に基づいて進められる。できるだけ省略せずに証明を具体的に実行することが「知ること」とはどのような行為(計算)なのかを知ることになるのだが、それを教えてくれるのが不完全性定理の証明なのである。したがって、当然ながら以下の説明は典型的な「知ったかぶりの説明=説明擬き」で、証明の単なる「青写真」。読者はこれで不完全性定理がわかったなどと妄想しないことが肝要で、定理の概要に過ぎないことを肝に銘ずべし、ということである。>

 20世紀の数学界の巨匠ヒルベルトは「数学理論には矛盾など一切無く、その理論内のどんな問題でも真偽の判定が可能である」ことを数学的に証明しようと、全数学者に一致協力するように呼びかけた。これが「ヒルベルトプログラム」である。この目論見は数学の論理的な完成を目指す一大プロジェクトとして、当時世界中から注目を集めた。

 そこに若きゲーテルが登場し、「算術を含む数学理論はどんなものであれ、不完全であり、決して完全にはなりえない」ことを数学的に証明する。その結果、ヒルベルトプログラムは根底から否定され、挫折することになった。ゲーデル不完全性定理は算術を含む理論について次のように主張する。

1)第1不完全性原理

 「ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」

2)第2不完全性原理

 「ある理論体系は自分自身が無矛盾であれば、矛盾が無いことをその理論体系の中で証明できない」

*それぞれをより正確に表現すれば次のようになる。

第1不完全性定理自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。

第2不完全性定理自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。

 その要点を簡単に述べてみよう。たとえば、私が、「私は嘘つきだ」と言ったとする。もしこの言葉が「真実」であれば、私は「嘘つきである」ことになるが、そうすると「嘘つきなのに、真実を言った」ことになってしまい、おかしなことになる。一方、この言葉が「嘘」だとすれば、私は「正直者である」ということになるが、そうすると、「正直者なのに、嘘を言った」ことになってしまい、おかしなことになる。結局、私の言葉が、真実でも、嘘でも、おかしなことが起こってしまうのである。これは、「自分自身について真偽を確かめようとするときに起こってしまうパラドックス」であることから、一般に「自己言及のパラドックス」と言われている。ちなみに、「私は正直者だ」と言った場合でも、似たようなことになる。まず、この言葉が「真実」だった場合、正直者が「自分は正直者だ」と真実を言ったことになるので、問題なく成り立つわけだが、この言葉が「嘘」だった場合でも、嘘つきが「自分は正直者だ」と嘘を言ったことになるので、これまた問題なく成り立ってしまうのである。つまり、「私は正直者だ」という命題は、真でも偽でも、どちらでも成り立ってしまい、結局、真とも偽とも決められないのである。要するに、「おれって正直者(嘘つき)なんだよねー」と、自分で自分のことを言及したところで自分では、その言葉の正しさを絶対に証明できない、ということになる。

 このような「自己言及パラドックス」が、数学においても、同様に起こることが証明されたのである。それは、すなわち、一見すると、完全無欠に見える数学理論の中にも、「真とも偽とも決められない命題」、「証明も反証もできない命題」が含まれていることを意味する(第1不完全性原理)。そして、ある数学理論が証明不能な命題を含むということは、「正しいとも、間違っているとも言えない不明な領域」がその数学理論の中にあるということなのだから、その数学理論が「自らの理論体系は完璧に正しい」と証明することはそもそも不可能なのである(第2不完全性原理)。

 これがゲーデル不完全性定理についての知ったかぶりの説明擬きである。説明ではなく、単なる擬きに過ぎないのは、定理が何を主張しているかはぼんやりわかったとしても、何をどのように証明していくのかは予想もつかないことからわかるだろう。実際、「言明が真である、偽である」、「言明が証明できる、言明が証明できない」といった類の言明をどのように形式的に表現し、単なる言明と整合的に組み合わせるかをどのように実行するかについては何も述べられていないのである。

 証明についての証明を真に知るには実際に証明するしかない。

 

オニユリの花

 ヒマワリとオニユリを同じ舞台に上げれば、どちらも大きく派手で、夏の花の主役を競い合うに十分な花。オニユリの花びらは見事に反り返り、橙色の地に褐色の斑点が入り、それが赤鬼を連想させ、その顔に見立てての命名だと言われている。また、メユリ(姫百合)と比べて大きいユリという意味だという説もある。

 オニユリは中国、あるいは朝鮮半島南部を原産とするユリ科多年草。食用として渡来したものが野生化し、各地に見られる。そのためか、私の記憶の中のユリはオニユリ。また、オニユリの地下に続く茎(鱗茎)は食用になり、百合根(ゆりね)と呼ばれている。

 

「ふるさと」トリヴィア

 中世の教養科目(リベラル・アーツ)は文法、修辞学、論理学から成る初級の3科 trivium(複数形はtrivia)と、算術、天文学幾何学音楽学の上級4科 quadriviumで構成されていました。そこからトリヴィア(trivia)は「初歩的でつまらない」という意味になったようです。数学のテキストでは証明するまでもなく、自明なことをtrivialと言います。これが「トリヴィア」についてのトリヴィアです。

 そこで、次のトリヴィア。「故」とは、ふるい、むかしの「故事」、「故実」を意味しています。さらに、「故郷」や、「故障」、「事故」も意味しています。「故意」、「故人」といった意味もあります。よく使われる「何故」にも登場します。「郷」もふるさと、生まれたところのことですから、「故郷」がふるさとを意味していることはtrivial(自明)です。

 「故郷」(こきょう、原題:故鄕)は魯迅の代表作ともいえる短編小説の一つですが、「ふるさと」を訳すと、Hometown、Pueblo natal、Ville natale、Heimatなどとなります。中国語だと、故乡;自己生长的土地(自分の生まれ育った土地、one’s native land)です。さらに、英語にはbirthplace; homeland; home; a place dear to one's heart; one's spiritual homeなどがあります。

 故郷(こきょう)は「生家、生まれた土地、生まれ故郷」から「自分の土地、子供時代を過ごした場所」へと広がり、「記憶の中の生れた環境、私の生まれ育った分脈」などへと拡散していきます。こんな字句の詮索をしていても何もわかりません。「ふるさと」はとても厄介な概念で、それに対して民俗学の貢献など何とも物足りないのです。

 「婿をもらった一人娘や、隣の家に嫁に行った娘はどんなふるさと観をもつのか」という問いは一見興味深い問いに思えるのですが、生れ故郷に暮らし続けることはふるさとを考える上で重要なのかどうかもはっきりしないのです。

 カリーニングラード州はロシアの飛び地。ロシアのウクライナ侵攻で有名になりましたが、ここはかつてのドイツ騎士団領で、19世紀にドイツを統一に導いたプロイセン王国揺籃の地です。同名の州都はかつてケーニヒスベルク(Königsberg、ドイツ語で「王の山」)と呼ばれ、哲学者カントが終生一歩も出なかった都市で、プロイセン公国プロイセン王国の首都でした。故郷を一歩も出なかったカントは偏狭な精神の持ち主とは程遠く、物質、精神、世界について哲学的な思いを巡らしました。上記の問いに「重要ではない」と解答する一例がカントなのです。

 人生とは旅人のようなものだと力説したのが芭蕉で、彼はカントと違って旅を重視しました。『おくのほそ道』の序文は「月日(つきひ)は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ年もまた旅人(たびびと)なり。舟の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふるものは、日々(ひび)旅(たび)にして旅(たび)を栖(すみか)とす。」で、旅こそが人生であると述べています。

 カントと芭蕉に「あなたにとって旅とは何か、ふるさととは何か」と尋ねてみたくなります。人生が旅であることを認めれば、旅に出ることがふるさとを出ることに繋がっています。旅に出なかったカントでも彼なりの心の旅をしていたのであれば、それは芭蕉の心身の旅と重なることになります。

 

 次は「ふるさと」の漢字表記についてです。「ふるさと」を漢字で書くと「古里」なのだそうです。私などは「ふるさと」は「故郷」だと思うのですが、近年は新聞の影響で「古里」が多くなっています。でも、辞書をみると「ふるさと」は「古里・故里・故郷」となっていて、どれでもよさそうに見えます。

 では、なぜ「ふるさと」は新聞では「古里」と表記されるのでしょうか。新聞の表記は常用漢字表内の漢字(表内字)を音訓の範囲内(表内音訓)で表記すると決めています。「故郷」の字はいずれも表内字ですから、使用に問題はありませんが、「ふるさと」と読むと、表内音訓での表記から外れてしまいます。ほかに漢字表の付表で、「父さん」や「息子」などのように当て字や熟字訓など、特に使用することが認められているものもありますが、その中でも故郷を「ふるさと」と読むことを認めていません。従って、あくまで故郷は「こきょう」なのです。

 1914(大正3)年の『尋常小学唱歌6』に収録されたのが高野辰之作詞、岡野貞一作曲の文部省唱歌「故郷」です。この曲のタイトルは、「故郷」と書いて「ふるさと」と読みます。そのためか、私には「ふるさと」は「故郷」で、「古里」ではないのです。でも、上記の理由から新聞は「ふるさと」を「故郷」とは書かず、「古里」と書きます。

 常用漢字表では「故」に「ふる」という読みが無く、「郷」にも「さと」という読みが無いため、「故郷」を「ふるさと」と読むのは、常用漢字表に従う限りできません。一方、「古」、「里」は、常用漢字表に「ふる」、「さと」の読みがあります。それゆえ、新聞では「ふるさと」は「古里」と書くようになったことがわかります。

 『日本国語大辞典』は平安時代から明治中期までに編まれた辞書の中から代表的なものを選んで、その辞書にある漢字表記を示しています。「故郷」の表記は室町時代中期に成立した『文明本節用集』や、江戸時代中期の『書言字考節用集』にあります。一方の「古里」の表記が現れるのは明治になってからです。

 常用漢字表に厳格に従い、認められていない読み方ができないなら、「為替」は使えず、「梅雨」は「つゆ」とは読めないことになります。他にも、「美味しい」、「景色」、「曲者」、「許嫁」、「従兄弟」、「意気地なし」、「脚気」、「牡蠣」など…。そして、「秋刀魚」も。

 そのためか、漢字表記をやめて、ひらがなの「ふるさと」に統一した使用例が「ふるさと」納税です。役所は総じてひらがなの「ふるさと」を使っているようです。

 

 信濃俳人となれば、小林一茶ですが、彼の「ふるさと」観の変遷は現代人にも通じるもので、庶民のふるさと観の典型例と言えます。

 一茶はまだ江戸にいた寛政6年にふるさとへの熱き思いを表現しています。

 初夢に 古里(故郷)を見て 涙かな

 一茶48歳の文化7年にはふるさとの身内との諍いにすっかり参ってしまいます。

 故郷(古里)や よるもさわるも 茨の花

 でも、2年後の文化9年には観念し、大悟した様子が窺えます。

 是がまあ つひの栖か 雪五尺

これら三句から、一茶のふるさと観が伝わってきます。ふるさとはあこがれの地であり、面倒ないざこざだらけの地であり、そして終には骨を埋める終焉の地でもあるのです。

 私たちが抱く「ふるさと」観に含まれる基本的な三つの特徴を一茶は経年的に見事に表現しています。夢、現実、諦念とも呼べるようなふるさとへの思い入れが表現され、正に生活の中の「ふるさと」が巧みに切り取られているのです。

*一茶の句でも「故郷」、「古里」の表記のどちらも使われているようです。俳句では「ふるさと」、「古里」、「故郷」のどれもが使われています。

  信濃国柏原は今の信濃町柏原ですが、そこに生まれた一茶はいつも孤独でした。3歳で実母を失い、代わりにやってきた継母とはうまくいかず、15歳で柏原の生家を追われ、江戸で奉公することになります。一茶は52歳になって、ようやく妻や子どもと一緒に暮らすことになりました。でも、その幸せも束の間、あいつぐ妻子との死別により、独りぼっちになります。ふるさとからも家からも閉め出された形の一茶の孤独は、現代人のもつ孤独とよく似ています。

 柏原は門徒の多い土地柄でした。一茶の家も代々真宗門徒で、両親も敬虔な門徒でした。親鸞が説く「自然法爾(じねんほうに)」は「あるがまま」を肯定することで、人為を超えた阿弥陀仏の力に一切の救済を任せ、他力本願で生きていくことです。門徒としての一茶の句には親鸞の他力本願の教えが色濃く滲み出ています。